(前回からの続編)
この能力を影響を抑えて「これまでとは違う何か」を創り続けるには
(1)新しい分野の情報や否定的な情報を取得できる環境
(2)これまでとは違った考え方をしようとする能力
(3)リスクを取る勇気
が必要になってくる。しかし、今の日本でこれら3点を満たすことは非常に難しい。
(1)については、まず英語の壁が存在する。例えば、鳩山総理大臣が先日の気候変動サミットでCO2を25%削減することを表明し、日本のメディアは大々的に取り上げたが、BBCやFinancial Times, Economistなどは米国と中国のことばかりで日本のことにはほとんど触れていない。これは海外メディアが正しい間違っているというわけではなく、日本と海外との考え方のギャップを表している一例だと思う。
そして、対外とのヒトとカネの流れが非常に少ないことが挙げられる。現在、日本で働いている外国人労働者は100万人弱と全人口の1%にも満たず、他国と比較しても非常に少ない。しかもこの多くが製造業で働く単純労働者で、知的労働者と呼ばれる人たちはほんの一握りにすぎない。カネに関しても、2007年の対外直接投資(GDP比)は1.68%、対内直接投資(GDP比)は0.51%となっていて、先進国(2%-8%)の中でも最も少ない値となっている。これらはヒトやカネそのものの流れが限られているだけでなく、対外との情報の流れが限られていることを意味している。
(2)については、暗記型の教育が挙げられる。日本の教育制度は何か新しいものを創るをすることよりも知識をひたすら詰め込むことを重点においている。いい例が、大学4年生の学生が研究テーマをなかなか決めることができないということ。これまで全て受身で学んできてしまったため、自分から主体的に考える方法がわからないし、考え方を変えるなんてとてもできない。日本で2年間学んだ経験がある、英国で映画専攻の中国人が「日本の教育は窮屈で仕方がなかった」と言っていたが、まさに当然の感想だと思う。
(3)はリスク回避の日本人の性格が邪魔をしている可能性が高い。たとえ考え方を変えなければいけないことに気づいたとしても、企業でいえば取引先や株主との関係を気にして、個人でいえば世間の目や社内での関係を気にして変えることができない。もし、失敗してしまったら失敗者の烙印を押されて、もう二度と同じ状況には戻ることはできない。日産をカルロス・ゴーンが(一時)回復させることができて、旧経営陣ができなかったのはまさにこの影響によるものだろう。
さらにはそもそものリスクが高いかもしれない。カネの側面からいえば、リスクを取ろうとしない保守的な金融機関の対応は、企業や個人のリスクを増大させ、挑戦する意欲を減退させていると思う。財務諸表を評価システムに入力しただけで得た融資枠による貸付や開業当初から出資をしようとしないVCでは、「これまでとは違う何か」のアイデアがあって起業しようとしても、個人で取るリスクはあまりに高すぎる。
(また続編へ)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿