2010年8月14日土曜日

選択することの続き

先月の「選択すること」の続き。

自分が選択をするときに「選択とはそれ以外の選択肢を捨てることだ」という言葉をよく思い出す。どうしても自分の選択しようとしているポジティブな側面に目が行ってしまいがちだけど、その選択した時点で他の選択肢を選択できないというネガティブな側面を忘れてはいけないという意味。

もちろん複数の選択肢を取れるケースも存在する。しかし、幸か不幸か、人生は有限で、人間が単位時間に処理できる能力や持てるリソースも限られている。そのため、多くの選択の場面において何かを捨てなければならないという状況に直面する。

実は今回の留学を決めるときに、様々な選択をしなければいけなかった。いや、正確には自分が抱えている問題について少し楽観的に考えすぎていて、ギリギリまで先延ばしにしてしまった。留学の出発日が近づくにつれてその問題は表面化していき、否応なしに選択を迫られた。

そして、一度は留学を選択するために、自分にとって重要な他の選択肢を捨てようとしてしまった。理由は上述したように一度に複数の選択肢を取れる状況ではないと判断したから。でも、友人たちにホントにそれでいいのかと問われ、改めて考え直し、複数の選択肢を取ろうと決めた。この選択をして今は本当に良かったと思っているし、そのとき考え直すきっかけをくれた友人たちにはとても感謝してる。

選択することは非常に難しい。自分が何歳まで生きて、どこまでの処理能力があって・・・なんてのは正直自分にもわからない。でも、そんな不確定な中でも選択をしなければならない。

一般的に選択肢が多ければ多いほどより難しくなる。変に何でもできる器用な人より「俺は○○しかないんだ」と考えている人のほうが、選択肢を早い段階から絞ることでいい選択をし、より良い人生を送るケースが多いなんてことを聞く。なので自分の限界を早い段階から知ることが重要だと。

でも、その限界の設定がキツすぎると大切な選択肢を見逃してしまうかもしれない。

逆に、その限界の設定が緩すぎると選択に時間を費やしすぎたり、誤った選択をしてしまう可能性が高まるかもしれない。

自分の限界については誰も教えてくれない。知る唯一の方法は選択という行為を通して自分という人間を観察し続けるしかない。日々その限界も変わってしまうので。間違っても選択するという行為から目を背け、適当に自分の限界を設定し、大切なものを失いたくないと思う。

2 件のコメント:

  1. 俺も結構ぎりぎりまで選択しないであわてるタイプ 汗
    最近心打たれた言葉は鉄鋼王カーネギーの言葉で
    「決断が早いものは、決断後の行動も早い」

    すばやく、高度な選択をできるようになるためには総合的な判断力が必要で、日々これ勉強ですな。

    それにしても、何で人生は一度きりで、片方しか選択できないことが多いかなと。
    どっちの選択をしてもまったく別の世界が広がる。
    どっちも選択したい。
    体が100個欲しい。一日が100時間だったら。。。と常に思い続ける今日この頃です。

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  2. >三十路丸

    決断が早いってのは基本的には自分自身について知っている証拠だからね。もちろん何も考えずに決断する人もいるけど。

    日本人は決断をするトレーニングをすべきだと思う。数学のように現実での答えはきれいに出ないし、1つとは限らないので、いま学校で学んでいることとはえらい違う。総合的な・・・ってのも、しっかりトレーニングをしないと習得することは難しいんじゃないかな。

    俺も分身が欲しいよ。どんどん時間が過ぎていくー泣

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